「百五十年史」で
校友会の歩み執筆
「生き字引」
特任理事
中村友一さんに聞く
1933(昭和8)年生まれ
校友会特任理事で前副会長の中村友一さん(93)=1955(昭和30)年経済学部卒=は2025(令和7)年刊行の『同志社百五十年史』で校友会の歩み8ページを執筆された。終戦直前1945(昭和20)年の同志社中学入学以来、10年後の大学卒業まで同志社で学ばれ、校友会活動に長年関わられ、まさに校友会の「生き字引」の中村さんに、執筆の感想をうかがった。
(篠田直哉 法学部法律学科86年卒)

今回の文は「初めに言葉ありき。言葉は神と共にありき。言葉は神なりき」の新約聖書ヨハネによる福音書第一章冒頭の文言から始まる。続けて、同志社は新島襄が神から授かった言葉(ロゴス)に根ざして生まれたと記し、校友会が1879(明治11)年に新島の最初の教え子15人によって歩み始めたこと、だからこそ「単なる旧友懐古の同窓会ではない。新島の遺志を継承し、母校の発展に一心同体で尽力すべき同志の集まりである」とし、同窓会ではなく、校友会である、と簡潔明快に定義づけている。
執筆にあたって中村さんは、50年史、90年史、100年史など過去刊行された記念史の記述やさまざまな校友会を巡る文献を一つひとつ丹念に読み込み、文にまとめた。
今回の文は全部で7章、各1ページ程度で構成。「1 創設の経緯」で1885(明治18)年12月19日に発足した校友79人による「アルムニ会」が校友会の起こりと明記し、「2 募金活動」では新島の急死後、幾多の困難を越えて1912(明治45)年2月14日に専門学校令により同志社大学設立が認可され、その後も募金活動が続き、32(昭和7)年に新島旧邸の一隅に旧新島会館が建設されるまでを書いている。
「3 戦後の復興と創立100周年」では戦後の混乱を経て、52(昭和27)年に旧新島会館が進駐軍接収解除となって校友会活動が活発化したと記している。
京都・室町の江戸時代から続く京料理の老舗で生まれ育った中村さんはこの「3」の初期、終戦4カ月前の45(昭和20)年4月に同志社中学に入学した。カーキ色の戦闘帽を被り、制服を着て登校し、今出川校地には奉安殿と称する天皇皇后御真影を収めた社殿があった。しかし、英語教育の灯は消えていなかった。英語は敵性語とされていたが、中村さんは初めて接する外国語に「限りない憧れ」を感じた。
8月15日、校長が礼拝堂に全校生徒を集め、天皇の終戦の詔勅を涙ながらに読み上げたのを鮮明に覚えている。軍による金属供出の影響で、珍しい陶製の校章ボタンを中村さんは大切に保管している。

やがて米国人女性宣教師が開いていた英語と聖書のオープンハウスへ、クッキーやキャンデーがもらえるのが最初は楽しみで通い始めた。「他の教科と違い、中学で勉強がスタートする英語で他の生徒に勝ちたい」と考え、英語に打ち込んだ。大きな影響を与えたのが、同志社中学・高校教師でもあった英語学者の柳島彦作先生で、先生が顧問のESSに入り英語に磨きをかけた。全国的な学生英語弁論大会で次々と好成績を収め、全京都英語弁論大会で優勝。学部卒業論文も英語で提出した。卒業後は国産真珠の貿易を手がけ、「留学経験のない私の英語はメイドイン同志社」と語る中村さんは世界真珠機構設立に尽力する一方、英首相を務めたサッチャー氏来日時には通訳も務めた。
中村さんによれば、校友会活動に積極的に関わり始めたのは、東京から神戸に真珠貿易の仕事の拠点を移した昭和40年代。同じ頃、大阪・北浜で証券会社を設立し、活発に校友会活動に取り組んでいたのが巽悟朗氏(2003年死去)だった。
「3」では、1975(昭和50)年に千宗室会長(のちの千玄室氏。2025年死去)就任に際し公職多忙のため会長代行に巽氏が選ばれ、理事46人中、半数を戦後組が占めたと記している。巽氏は78(昭和53)年、会長に選ばれ、新島会館建て替えに4億円を蓄積し、学校法人同志社理事会の決定を受け着工し、創立100周年の85(昭和60)年11月24日のリユニオン当日に新しい新島会館が開館した。
「4 内部対立と変革」では、94(平成6)年の学校法人の資産運用に関し、評価損が生じた責任が問われ、当時の野本真也理事長と松山義則総長の意見が折り合わず、校友会から分裂した団体を結成した4人が校友会から除名処分を受けるなど内紛が続いたと記している。学校法人同志社が起こした損害賠償請求訴訟を巡る2001(平成13)年4月の京都地裁の判決を受け、「同志社はひとつ」の精神に立ち返り、4人の除名が解除された。中村さんは「校友会の歴史の転換点といえる出来事だった」と記している。

やがて校友会役員改選を前に、会長選出を前に従来の校友会運営と無縁の校友の財界人を選ぶべきだとの声が強くあがった。ダイキン会長兼CEOの井上礼之氏に会長就任を要請しようと、当時の秋田まち子校友会長の了承を得て、中村さんは2011(平成23)年3月11日の東日本大震災当日、大谷實総長(2026年死去)、長谷川正治副会長とともに大阪市北区のダイキン本社を訪ねた。
席上、井上氏が中村さんに「学生時代英語で活躍されていた中村さんは憧れの人でした」と声をかけ、張り詰めた空気が一気に和み、就任を快諾された。井上氏は同志社高校で中村さんの2年後輩で、久しぶりの再会だった。中村さんは「高校で私は生徒会長を務め、ESSでも活発に活動していたので注目されていたようです」と話す。
「5 新体制での運営」で、井上新体制によって全国の支部の風通しが良くなり、相互の連携強化とガバナンス確立が実現したことを詳述。2014(平成26)年2月15日には国立京都国際会館で第一回同志社校友会大懇親会が開催された。
資金調達の面で、校友会費終身会費を卒業時に代理徴収する制度が八田英二学長の尽力で導入が実現し、財務基盤強化につながったことも特筆されている。1897(明治30)年創刊の校友会報が現在の本誌の前身とみなされ、2022(令和4)年4月から季刊化されたことも明記している。
「6 校友名簿」では2017(平成29)年から大学と校友会が約35万3000人の会員名簿を一元管理し、住所の追跡は募金の会報発送や会費未納入者への納入依頼によりアップデートする仕組みについても記載。
締めの「7 現況」では、2021(令和3)年3月末就任した前大学長の松岡敬会長が学長在任中に策定した「同志社大学 VISON2025」に沿って、井上前会長によって築かれた基盤をさらに固め、ビジョン実現の前進が期待される、と結んでいる。
取材の最後に中村さんは、サッチャー通訳の際の彼女の言葉「成功は嫉妬を呼ぶ」を肝に銘じ、うまくいっている時こそ足をすくわれないよう、皆それぞれ自戒すべきだ、と強調。「次世代の皆さんもしっかり足元を見ながら、力を合わせ前に進んで行って欲しい」と話している。
(肩書きは原則当時のもの)
『同志社百五十年史 各学校と関連団体』は、7,000円(税込)で(株)同志社エンタープライズ、同志社生活協同組合で販売しています(一般書店では取り扱っていません)。
